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バイト(BYTE)は、米国で創刊された、1970年代後半から1980年代末にかけて広範囲な内容で影響力を誇ったマイクロコンピュータ雑誌〔 "''Byte'' magazine, the leading publication serving the homebrew market …"〕。1980年代中ごろから、パソコン雑誌の多くは MS-DOS (PC) または Mac に専門化していき、ビジネスまたは家庭での利用に特化していったが、バイト誌は「小さいコンピュータとソフトウェア」という領域全体を扱い続け、時にはスーパーコンピュータや高信頼コンピュータなども扱った。ユーザー指向ではなく、技術的詳細を扱っていた。他国でも提携出版社による各国語版が発行され、日本では「日経バイト」が発行された。バイトの名称とロゴは2012年現在も使われ続けているが、オンラインのみであり方向性も従来とは異なる〔BYTE オンライン出版サイト 2012年7月9日閲覧〕。 バイト誌は1975年、最初のパーソナルコンピュータがエレクトロニクス雑誌のキット広告として登場した直後に創刊した。月刊誌であり、年間購読料は10ドルだった。 == 創刊 == アマチュア無線雑誌 ''73'' の1975年8月号で、編集者のは社説欄に次のように書いた。 73 でのコンピュータ関連記事への反応は熱狂的で、ピーターバラ(ニューハンプシャー州)の我々も心を奪われた。5月25日、我々は小さなコンピュータ・ホビー誌(発行部数400部)を発行している出版社を買い取る契約を結び、8月から刊行予定の新雑誌 BYTE を編集することにした。 バイト誌の初代編集長カール・ヘルマーズは1周年記念号で「バイトは1975年9月号から始まった。創刊号は1975年5月25日から7週間かけて制作された」と書いている。 出版元はウェイン・グリーンの元妻ヴァージニア・L・グリーン(元 ''73 Inc.'' の営業部長)が所有する新たな出版社 Green Publishing で、ヴァージニアは10年前にグリーンと離婚しているが姓を戻さずそのままグリーンを名乗っていた。手元の資金が少なかったので、彼女は家族からも出資金を借りた。創刊当初はニューハンプシャー州ピーターバラ周辺の個人や企業に大部分を下請けに出していた。''73''誌はスタッフ能力に余力があったので、創刊から4号まで版下のほとんどを下請けとして制作した。その4号のうち3号で、ウェイン・グリーンは印刷に回す直前、無断で奥付に編集人として自分の名前を入れた。そのようなことが3度繰り返された後、ヴァージニア・グリーンは ''73'' 編集部に依頼していた全ての仕事を止めさせ、別の業者と成長しつつあったバイト誌自身のスタッフを使うようにした。 1985年の ''Folio'' 誌の記事に「1975年11月のある日、ウェインが出社するとバイト誌のスタッフは1月号の原稿と共に出て行った後だった」とある。この記事が元となって、ヴァージニア・グリーンは ''Folio'' 誌とウェイン・グリーンを名誉毀損で訴えた。''Folio'' 誌はウェイン・グリーンの証言について、ヴァージニア・グリーンやカール・ヘルマーズ、ヴァージニア・グリーンの出版社設立に関わった法律事務所などに裏づけ取材をしていなかった。''Folio'' 誌とウェイン・グリーンは裁判が始まる前にヴァージニア・グリーンに大金を支払って和解した。 1976年1月号では、編集人にヴァージニア・グリーンの名が記されている。 ヴァージニア・グリーン・ウィリアムソンの2人目の夫で弁護士のゴードン・ウィリアムソンは、ウェイン・グリーンがバイト誌創刊に果たした役割は小さく、両者の間の訴訟もウェイン・グリーンに不利な形で決着したとする本を書いている。 1976年2月号では、この移転について「キーストン・コップスを髣髴とさせるロマンティックなオペレッタのように始まった後、バイト誌は最終的にオフィスを移転した」と記している。 1976年秋、ウェイン・グリーンは新たなコンピュータ雑誌 ''Kilobyte'' の創刊を発表。バイト誌ではすぐに KILOBYTE を商標登録して、その名を冠した漫画を連載しはじめた。これ以降、バイト誌は様々な関連商標を登録することになった。バイト誌はウェイン・グリーンと Kilobyte を商標権侵害で訴え、ウェインは誌名を創刊前から ''Kilobaud'' に変更することになった。バイト誌は競合他誌については誌上で言及しない編集方針であり、ウェイン・グリーンの出版物についても同様だった。バイト誌も 73 Inc. もニューハンプシャー州ピーターバラという小さな町にあり、その後もライバル関係が続いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バイト (雑誌)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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